京町通(きょうまちどおり)
京町通は、江戸時代、京町通の途中にある墨染から大津街道(京都府道201号中山稲荷線、滋賀県道・京都府道35号大津淀線)へ抜けて行く参勤交代のルートであり、一般には、主に京都へ向かう街道として利用されていました。
「伏見築城に際して、桃山の伊達街道と共に城下町で最初に開通した「本通り」であると思われる。この通りを北上すれば京都南座の側を通り、遠く大原の里まで続いている。江戸時代、京町1丁目と2丁目との間に伏見奉行の西御門があり、京町3丁目と讃岐町の交わった場所に伏見奉行所の高札場(こうさつば)が設けられ、俗に「札の辻」とも呼ばれた。・・・」(案内板より)
京町通では、しもた屋と呼ばれる紅殻格子(べんがらごうし)の家屋が、現在でも多く残っています。
※ しもた屋(仕舞た屋)とは、商店でない普通の家、又は商売をやめた家のこと。
※ 紅殻格子(べんがらごうし)は、細かな木を縦と横に組み合わせ、家の中からは外がよく見えるが、外からは中が見えにくくなっている格子のことです。
下記地図上の赤いラインが京町通(一部)です。