土佐藩郷士である坂本龍馬が襲われたとされる寺田屋。(京都府京都市伏見区南浜町)
京都寺田屋はもともとは船宿で、江戸時代には、ここから大阪八軒屋まで淀川を行き来する船旅の客で賑わっていました。
文久2年(1862)、寺田屋で会していた尊王攘夷派の有馬新七など薩摩藩士が、島津久光(薩摩藩)の差し向けた藩士らと同士討ちとなった事件が起こりました。慶応2年(1866)には、寺田屋に宿泊中の坂本龍馬が幕吏に襲撃されましたが、寺田屋女将の養女で後の妻となるお竜(おりょう)の機転により難を逃れました。
(以上は・・・寺田屋事件、又は寺田屋騒動と呼ばれてます。)
寺田屋横には、坂本龍馬や薩摩藩九烈士の碑が立っており、また寺田屋敷地内の庭の龍馬像の前には、龍馬が十代の頃に作った歌が展示されています。
「世の人はわれを何とも云はばいへ。わがなすことは我のみぞ知る」
坂本龍馬の人気が凄いのか、休日には、観光客がよく訪れる場所です。寺田屋は、龍馬通りの近くにあり、周辺には酒蔵も多く見られます。
★寺田屋へのアクセス
京阪「中書島駅」徒歩5分
★寺田屋の観光見所
梅の間、坂本龍馬像、伏見寺田屋殉難九烈士之碑
※「梅の間」は、龍馬が寺田屋に宿泊する時にいつも使っていた部屋です。
※寺田屋は、慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いの時に焼失したと言われています。現在の寺田屋は当時のものを再現したものです。