日蓮宗寺院である墨染寺(ぼくせんじ、墨染桜寺)は、墨染駅の西側に位置し、旧東海道筋にあたる商店街の中にあります。(京都府京都市伏見区墨染町)
墨染寺は、安土・桃山時代の天正年間(1573-1591)、豊臣秀吉が貞観寺旧址方8町を割き、日秀上人によって再興されました。
この周辺は、江戸時代、伏見から京都や大津への街道であり、また八科峠(やしなとうげ)を越えて六地蔵から宇治へ至る分岐点でもあったので、宿場町としての賑わいがあった所です。
墨染寺本堂前の墨染桜は、平安時代、上野峯雄(かんつけのみねお)が 「深草の野辺の桜し心あらば、今年計りは墨染に咲け」(古今集)と詠んだことから、墨染色に咲くようになったと伝えられ、またこれが地名の由来とも言われています。
「三代目植継墨染桜」の標識とともに、3代目薄墨桜が墨染寺境内に植えられています。