薩摩島津伏見屋敷跡(京都府京都市伏見区東境町)
伏見区下板橋通りを西へ行き、伏見城の外濠であった濠川を渡ると、現在酒造会社になっている一画に薩摩島津伏見屋敷跡の石碑があります。(薩摩藩伏見邸の跡)
以下・案内版の内容(抜粋)です。
「慶応2年1月23日深夜、蓬莱橋のたもとの南浜町の寺田屋で、土佐亡命志士坂本龍馬が、薩長同盟成立の重要人として、伏見奉行所役人の襲撃を受けます。重傷を負いつつ脱出した龍馬は、濠川沿いの村上町の材木納屋に潜伏、妻龍(のち鞆)や長府毛利家臣三吉慎蔵の通報により、薩摩伏見留守居役大山彦八に救出され、この地に避難しました。」
この薩摩藩伏見邸は、慶応4年の戊辰戦争の最中、会津の大砲隊の攻撃により焼失しました。