与杼神社(よどじんじゃ・京都府京都市伏見区淀本町)
与杼神社(與杼神社)は、淀・納所・水垂・大下津の産土神として鎮座しています。社伝によると、応和年間(961~963)に、僧の千観内供が、肥前国の與止日女神社より淀大明神として勧請したことが始まりとされています。
与杼神社の本殿(桃山時代)は、昭和50年、花火の落下が原因で焼失したため、近年新たに再建されました。
写真右は、与杼神社内にある「江戸時代の豪商ゆかりの大坂淀屋の高灯籠」です。(以下、立て札の内容)
「江戸時代の初めの豪商淀屋の初代岡本与三郎(淀屋常安)は、淀周辺の岡本荘の出身との説もあり、又この淀の地に家や田地も所有していたと記録に残っている。しかし淀屋は、幕府を凌ぐほどの財産を有したが、宝永2年(1705)5月に闕所(けっしょ)となり、財産没収と所払いの処分となった。・・・宝暦13年(1763)には、大坂の元の地(淀屋橋の南詰め一帯)に木綿問屋として「淀屋清兵衛」(後期淀屋)を公称して再興を果たした。
淀屋ゆかりの者がこの高灯籠を寄進して再興を宣言したことを示したとも言える」
ちなみに、大阪にある淀屋橋の名前の由来は、淀屋が淀屋橋を架橋し管理したことによります。