京都観光/旅行・ぶらり伏見>京都伏見のお酒について 京都伏見のお酒 |
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伏見のお酒・・・歴史編奈良時代、深草地域の大きな勢力であった秦氏は、酒造りの技術を伝えた渡来人の末裔であり、彼らが稲荷神社(伏見稲荷大社)に供えるために造った酒が伏見の酒のルーツとも言われています。序々に酒づくりが定着するのが、太閤秀吉の伏見城築城の安土桃山時代(1573〜1596年)のことです。この時代伏見は、大城下町として大きく栄えました。 江戸時代(1597〜1868年)の伏見は、大阪と京都を結ぶ水陸交通の要衡として、また大名たちが滞在する船宿や材木問屋、運送問屋が軒を並べる港町、宿場町として、発展しました。伏見奉行の政策により、寛永のはじめには酒造米の出来高が4千石あったと記録されています。伏見では、明暦3年(1657)に酒造業者の株制度が施行され、83軒の酒造業者が株数に応じた量を酒造することが許されていました。これに合わせ、伏見の酒造も次第に急増しました。 明治の後半には、伏見の酒どころとして全国にその名をとどろかせるようになり、現在でも町のいたるところに江戸時代創業の酒蔵があります。 |
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伏見のお酒・・・なぜおいしいのか酒造地の条件は、良質の水が豊富にあることです。かつて「伏水」とも書かれていた「伏見」は、質の高い伏流水が豊富な地域で、かつての巨椋池をのぞむ桃山丘陵の水脈が地下水として洗練され、山麓近くで湧き水となってでてきます。 伏見のお酒のおいしいのは、良水で知られる伏水により作られているからなのです。 現在においても、環境庁が指定した「日本名水百選」の第1号に選ばれた「御香水」をはじめ、「金名水」「銀名水」「白菊水」などがあります。※伏見城内で豊臣秀吉が「金名水(きんめいすい)」、「銀名水(ぎんめいすい)」と呼ばれる井戸を掘り、お茶会の際に使用したといわれています。 |
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伏見の酒蔵(創業順)<関連ページ> 酒蔵めぐり 酒蔵マップ |
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月桂冠 寛永14年(1637) 招徳酒造 正保2年 (1645) 向島酒造 明暦年間(1655〜58) 北川本家 明暦3年 (1657) 玉乃光酒造 延宝元年(1673) 増田徳兵衞商店 延宝3年 (1675) 山本本家 円方5年 (1677) 平和酒造 延享元年(1744) キンシ正宗 天明元年(1781) 松本酒造 寛政3年 (1791)→黄桜(株) 都鶴酒造 寛政3年 (1791) 宝酒造 天保13年(1842) 豊澤本店 江戸末期 |
江戸創業 | ||
三宝酒造 明治2年 (1869) メイセイ酒造 明治10年(1877) 鶴正酒造 明治24年(1891) 齊藤酒造 明治28年(1895) |
明治創業 | ||
岡本酒造 大正7年 (1919)→京姫酒造 |
大正創業 | ||
山本勘蔵商店 昭和11年(1936) 花清水 昭和16年(1941) |
昭和創業 | ||
【参考文献】 ・『伏見学ことはじめ』思文閣出版 ・『豊臣秀吉と京都:聚楽第・お土居と伏見城』文理閣 |
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