旧京阪国道の納所の交差点近くに唐人雁木旧趾があります。(京都府京都市伏見区納所町)
唐人(とうじん)とは、江戸時代、日本へ派遣された李氏朝鮮の使節(朝鮮通信使)のことで、慶長12年(1607)から文化8年(1811)まで12回の来日がありました。また、雁木(がんぎ)とは、船着場の桟橋に続く木の階段のことです。
最初の来日のとき、朝鮮通信使は、瀬戸内海より淀川を上って納所に到着、その後2週間かけて江戸に行きました。
「目の前に百板橋といわれる橋が川を横切って見えた。
・・・陸に下り橋を過ぎ一部舎に着した。これは秀吉妾の家(淀殿の城)である」(朝鮮通信使側の記録)
淀城内での饗応は、通信使に三の膳まで出され、また唐人雁木周辺では一晩中かがり火が焚かれ、川の両岸には高張提灯が立ち並べられたと言われています。