三宝院(京都府京都市伏見区醍醐東大路町)
醍醐寺の塔頭(たっちゅう)である醍醐寺三宝院は、永久3年(1115)醍醐寺第14代座主・勝覚が創建し、醍醐寺第74代座主・満済以降は、歴代座主が三宝院に居住するのが慣例となりました。三宝院は、応仁の乱で焼失、慶長3年(1598)豊臣秀吉の援助で再建されました。写真右は、国宝の唐門です。
表書院の東側には、「醍醐の花見」の際、醍醐山中腹の槍山に設けた花見御殿(八番茶屋)を移築したとされる茅葺の純浄観(じゅんじょうかん)、さらに純浄観の東側に快慶作の弥勒菩薩像を安置する本堂、純浄観の北側に奥宸殿があります。
写真右は、三宝院の西にある修証殿前の憲深林苑の桜です。ここ憲深林苑で咲き始める河津桜をかわきりに醍醐の花見が始まります。桜で有名な三宝院庭園は、表書院の南にあり、豊臣秀吉が「醍醐の花見」の際、義演僧正に造らせたもので、自ら縄張りしたとされます。三宝院庭園の正面にある藤戸石は、かつて織田信長が足利義昭のために造営した二条邸にあったものです。その後、豊臣秀吉により、聚楽第の庭に移され、慶長3年(1598)三宝院庭園の守護石となります。
豪壮雄大な庭園は、秀吉の豪華さと桃山時代の華やかな雰囲気を今に伝えています。なお三宝院庭園は、写真撮影禁止なので、入場チケットを投稿します・・・ (;_;)
★醍醐寺三宝院の国宝
唐門、表書院
★醍醐寺三宝院の重要文化財
本堂、純浄観、奥宸殿、表書院・襖絵、弥勒菩薩像など
★国特別史跡、特別名勝
醍醐寺三宝院庭園