油掛通(京都府京都市伏見区下油掛町周辺)
京阪中書島駅から北へ数分、蓬莱橋を渡ると船宿寺田屋、三十石船の発着場である京橋があります。江戸時代、人々は京橋から上陸し、油掛通を経て京町通を北行しました。油掛町は、土産物屋・商家・寺院が集中し、現在の大手筋を凌ぐほどの伏見随一の繁華街でした。
写真右は現在の油掛通の様子ですが、マンションなどが多く建っており、当時の賑わいを窺い知ることはできません・・・。
町名の由来は、西岸寺(上の写真)・油掛地蔵尊から生まれたものです。
以下、油掛通の案内板の内容です。
「通称『油懸地蔵(西岸寺)』の前の東西の通りをさす。町名としては、上・中・下の3ヶ町からなる。江戸時代、伏見港(京橋付近を中心)に近く、京・大阪へ行き交う旅人で大いに賑わった。明治時代、第一銀行が京都支店に続いてここ中油掛町に伏見支店を開設した。明治28年下油掛町より京都駅まで、我が国最初の電気鉄道(後の市電)が営業を開始した。・・・・」
案内板の内容からすると、下記の範囲が、昔の油掛通(現在の地図上では魚屋通と表記)と思われます。