城南宮の東にあって真言宗智山派の寺院である安楽寿院。(京都府伏見区竹田中内畑町)
安楽寿院は、鳥羽上皇が鳥羽離宮の本殿を仏寺に改めたもので、上皇の念持仏と伝える阿弥陀如来が安置されています。周辺には、白川天皇陵、北向山不動院など鳥羽離宮ゆかりの史跡が点在しています。
★安楽寿院へのアクセス
近鉄「竹田駅」 徒歩約6分
★安楽寿院の重要文化財
五輪塔、木造阿弥陀如来坐像、絹本著色普賢菩薩像、絹本著色孔雀明王像、絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図
京都観光情報や歴史探訪などをメインとした京都観光ブログ。観光気分で、ぶらり京都を散策。
ぶらりblogでは、主に京都伏見周辺を中心にぶらり散策しながら、京都の町並みや人気の観光スポット、京都の観光名所、ひっそりと佇む歴史の足跡などをブログ形式で紹介いたします。
城南宮の東にあって真言宗智山派の寺院である安楽寿院。(京都府伏見区竹田中内畑町)
安楽寿院は、鳥羽上皇が鳥羽離宮の本殿を仏寺に改めたもので、上皇の念持仏と伝える阿弥陀如来が安置されています。周辺には、白川天皇陵、北向山不動院など鳥羽離宮ゆかりの史跡が点在しています。
★安楽寿院へのアクセス
近鉄「竹田駅」 徒歩約6分
★安楽寿院の重要文化財
五輪塔、木造阿弥陀如来坐像、絹本著色普賢菩薩像、絹本著色孔雀明王像、絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図
日蓮宗寺院である墨染寺(ぼくせんじ、墨染桜寺)は、墨染駅の西側に位置し、旧東海道筋にあたる商店街の中にあります。(京都府京都市伏見区墨染町)
墨染寺は、安土・桃山時代の天正年間(1573-1591)、豊臣秀吉が貞観寺旧址方8町を割き、日秀上人によって再興されました。
この周辺は、江戸時代、伏見から京都や大津への街道であり、また八科峠(やしなとうげ)を越えて六地蔵から宇治へ至る分岐点でもあったので、宿場町としての賑わいがあった所です。
墨染寺本堂前の墨染桜は、平安時代、上野峯雄(かんつけのみねお)が 「深草の野辺の桜し心あらば、今年計りは墨染に咲け」(古今集)と詠んだことから、墨染色に咲くようになったと伝えられ、またこれが地名の由来とも言われています。
「三代目植継墨染桜」の標識とともに、3代目薄墨桜が墨染寺境内に植えられています。
近鉄 桃山御陵前駅を南に行くと桃稜団地があります。この場所にかつての伏見奉行所が置かれていました。(京都府京都市伏見区西奉行町)
豊臣秀吉の時代、伏見は五奉行の一人であった前田玄以が統括しており、以降幕末まで、奉行不在で京都町奉行所の支配であった時期等を除くと、この地が奉行所として機能しておりました。
伏見奉行所の管轄区域は、伏見市街と周辺八か村(堀内村、向島村、六地蔵村、三栖村、毛利治部村、景勝村、大亀谷村、深草村)でした。※享保以降、葭島新田が加わり、九か村となります。
現在、伏見奉行所跡周辺は、市営住宅団地として整備され、歴史を感じさせる西奉行町、東奉行町、奉行前町の町名がついています。