京都観光/旅行・ぶらり伏見

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京都観光情報や歴史探訪などをメインとした京都観光ブログ。観光気分で、ぶらり京都を散策。
ぶらりblogでは、主に京都伏見周辺を中心にぶらり散策しながら、京都の町並みや人気の観光スポット、京都の観光名所、ひっそりと佇む歴史の足跡などをブログ形式で紹介いたします。


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ぶらりblog 京都観光/旅行 記事一覧

根上りの松・伏見稲荷大社


根上りの松

伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区深草藪之内町)の奥ノ院より山頂に通じる参道の左に根上りの松はあります。
根上り松の木の股をくぐると、神経痛、腰痛、肩こりが治るとの信仰があり、「奇妙大明神」とか「膝松さん(ひざまつさん)」などど呼ばれています。
でも、よくよく見ると腰の悪い人が根上りの松の木の股をくぐるのはなかなか大変な気がします・・・

キザクラカッパカントリー


キザクラカッパカントリーキザクラカッパカントリー

お馴染みの河童のマークで有名な黄桜が運営するキザクラカッパカントリー(京都府京都市伏見区塩屋町)
キザクラカッパカントリーは、大手筋通の一本南の通りである魚屋通に面しています。
キザクラカッパカントリーには、清酒工房や地ビールレストランがあり、また黄桜記念館では、河童の歴史の紹介や模型で見る昔の酒造りの工程や道具などの展示をしています。 なお、黄桜記念館内での写真撮影は不可です・・・
黄桜記念館の公式HPはこちら 黄桜記念館

「龍馬とお龍 愛の旅路」像


「龍馬とお龍 愛の旅路」像「龍馬とお龍 愛の旅路」案内版

寺田屋の近くにある寺田屋浜に「龍馬とお龍 愛の旅路」像があります。(京都府京都市伏見区表町)
以下・案内版の内容です。
「薩長同盟を締結させた直後の慶応2年(1866)寺田屋に宿泊していた坂本龍馬は、伏見奉行所配下の捕り手に囲まれます。この時、危機を察知したお龍により命を救われた龍馬は、しばらく伏見薩摩藩邸にかくまれていましたが、右手の傷を癒すため、ここ寺田屋浜から三十石船に乗りお龍とともに、九州の霧島へと旅立ったのです。」
・・・いわゆる九州への新婚旅行という事ですネ。
PS 右の写真に、光のかげんで私の見苦しい撮影風景が反射していますが、ご勘弁を(^^;

真幡寸神社


真幡寸神社真幡寸神社

真幡寸神社(まはたぎじんじゃ・京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町)
京都伏見には、伏見稲荷大社(稲荷社)、藤森神社(藤尾社)、城南宮御香宮神社金礼宮の古社が鎮座していますが、真幡寸神社もこの古社の一つであり、古社どうしがそれぞれに歴史上の深い関係を持っています。
奈良時代の終わり、深草山山麓に社地を営み、この雷神を秦氏の守護神としたのが真幡寸神社であり、航海安全を祈る旗幡信仰があります。
平安時代、稲荷神の社殿を造営、拡張するにあたり、藤尾社は藤森の地に移動しました。それと同時に真幡寸神社は竹田の真幡寸の里に移され、現在は、小祠真幡寸神社として,城南宮表参道の北脇にあります。
※ 京都伏見の古社については、伏見学ことはじめ (思文閣出版)に詳しい記述があります。

油掛通


油掛通・案内板油掛通

油掛通(京都府京都市伏見区下油掛町周辺)
京阪中書島駅から北へ数分、蓬莱橋を渡ると船宿寺田屋三十石船の発着場である京橋があります。江戸時代、人々は京橋から上陸し、油掛通を経て京町通を北行しました。油掛町は、土産物屋・商家・寺院が集中し、現在の大手筋を凌ぐほどの伏見随一の繁華街でした。
写真右は現在の油掛通の様子ですが、マンションなどが多く建っており、当時の賑わいを窺い知ることはできません・・・。
西岸寺の入り口西岸寺
町名の由来は、西岸寺(上の写真)・油掛地蔵尊から生まれたものです。
以下、油掛通の案内板の内容です。
「通称『油懸地蔵(西岸寺)』の前の東西の通りをさす。町名としては、上・中・下の3ヶ町からなる。江戸時代、伏見港(京橋付近を中心)に近く、京・大阪へ行き交う旅人で大いに賑わった。明治時代、第一銀行が京都支店に続いてここ中油掛町に伏見支店を開設した。明治28年下油掛町より京都駅まで、我が国最初の電気鉄道(後の市電)が営業を開始した。・・・・」
案内板の内容からすると、下記の範囲が、昔の油掛通(現在の地図上では魚屋通と表記)と思われます。