京都観光/旅行・ぶらり伏見

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京都観光情報や歴史探訪などをメインとした京都観光ブログ。観光気分で、ぶらり京都を散策。
ぶらりblogでは、主に京都伏見周辺を中心にぶらり散策しながら、京都の町並みや人気の観光スポット、京都の観光名所、ひっそりと佇む歴史の足跡などをブログ形式で紹介いたします。


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退耕庵


退耕庵退耕庵

退耕庵(京都市東山区本町15丁目・東福寺北門付近)
退耕庵は、東福寺の塔頭であり、貞和2年(1346)に東福寺第43世の性海霊見により創建されました。
小野小町ゆかりの寺として知られており、高さ2m、白い顔をした地蔵菩薩像には、小野小町宛ての恋文が収められていると伝えられ、玉章(たまずさ)地蔵尊と呼ばれています。その他、小町100歳の像、茶室作夢軒などがあります。
退耕庵に行った時期が良かったのか、紅葉がきれいでした。(^o^)/>
★退耕庵へのアクセス
 京阪「東福寺駅」徒歩約5分
★退耕庵の重要文化財
 絹本著色性海和尚像、紙本墨書聖一国師忌斎幹縁疏など

随心院


随心院随心院

平安期の創建であり、鎌倉末期に門前寺院となった随心院(京都府京都市山科区小野御霊町)
周辺は,かつて小野氏の領地であったことから、随心院は六歌仙である小野小町ゆかりの寺としても有名です。

随心院小町化粧の井
随心院には、小町化粧井戸(写真右)、小町文塚など小町の伝説にちなんだものが多く残っています。
「謡曲『通小町』の前段、即ち深草少将が小町の許に百度通ったという伝説の舞台がここ随心院である。その頃小町は現在の随心院の『小町化粧の井』付近に住んでいた。」随心院境内にある立て札より。

随心院随心院
随心院境内は史跡に指定されています。

★随心院へのアクセス
 地下鉄「小野駅」 徒歩約5分
★随心院の重要文化財
 木造阿弥陀如来坐像、木造金剛薩埵坐像、絹本着色愛染曼荼羅図、隨心院文書5巻
★随心院の観光見所
 本堂、書院、小町化粧井戸、小町文塚、百夜週の榧の木、はねずの梅

※ 小野小町は、平安時代の女流歌人で、絶世の美女として七小町などに数々の逸話があります。小野小町の歌は、小倉百人一首にも選ばれています。
「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(古今集巻二)

※ 六歌仙(ろっかせん)は、紀貫之が「近き世にその名聞こえたる人」として挙げた6人の歌人(在原業平、僧正遍昭、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町)のことを言います。

荷田春満旧宅


荷田春満旧宅荷田春満旧宅

荷田春満旧宅(京都府京都市伏見区深草藪之内町)
荷田春満(かだの あずままろ)旧宅は、 伏見稲荷大社の南にある東丸(あずままろ)神社の隣にあり、書院、祭器庫などが残る国の史跡となっています。
荷田春満は、寛文9年(1669)に伏見稲荷大社の祀官の家に生まれましたが、神職を継承せず古典・国学の研究に没頭。「万葉集」や「古事記」の研究の基礎を作り、賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤とともに国学の四大人の一人と言われました。

海宝寺(海寶寺)


海宝寺海宝寺

海宝寺(海寶寺、京都府京都市伏見区桃山町正宗)
周辺の土地より、若干高く盛り上がっている海宝寺の境内ですが、これは伏見城城下町の北側惣構(そうがまえ)の土塁の痕跡です。
海宝寺は、享保年間(1716~1736)創建で、豊臣秀吉が愛用した手水鉢や伊藤若冲が晩年に制作した障壁画「群鶏図」(現在は京都国立博物館所有)が有名で、また普茶料理(ふちゃりょうり、4人以上で要予約)を味わうことができる寺としても広く知られています。普茶料理とは、葛と植物油を使った中国風の精進料理で、一つの卓を4人で囲んで食べます・・・
海宝寺の所在地は、桃山町正宗ですが、これは出羽国と陸奥国の戦国大名で、仙台藩の藩祖である伊達政宗(いわゆる独眼竜政宗です・・・)の伏見城上屋敷がここにあったからです。伊達政宗は、文禄4年(1595)から4、5年この地に住んだとされ、写真左の海宝寺にある木斛(モッコク・樹齢約400年)は、伊達政宗による手植えの木と言われています。
秀吉時代、京阪本線の傍を南北に並行して走る京町通が、武家屋敷地と町人地を分ける境界線となっていたことから、京町通の東にある桃山一帯には、桃山町正宗の他、桃山町金森出雲、桃山町永井久太郎、桃山長岡越中、桃山羽柴長吉、桃山福島太夫、桃山毛利長門などの大名、武士の名前が町名として今も残っております。

薩摩島津伏見屋敷跡


薩摩島津伏見屋敷跡薩摩島津伏見屋敷跡

薩摩島津伏見屋敷跡(京都府京都市伏見区東境町)
伏見区下板橋通りを西へ行き、伏見城の外濠であった濠川を渡ると、現在酒造会社になっている一画に薩摩島津伏見屋敷跡の石碑があります。(薩摩藩伏見邸の跡)
以下・案内版の内容(抜粋)です。
「慶応2年1月23日深夜、蓬莱橋のたもとの南浜町の寺田屋で、土佐亡命志士坂本龍馬が、薩長同盟成立の重要人として、伏見奉行所役人の襲撃を受けます。重傷を負いつつ脱出した龍馬は、濠川沿いの村上町の材木納屋に潜伏、妻龍(のち鞆)や長府毛利家臣三吉慎蔵の通報により、薩摩伏見留守居役大山彦八に救出され、この地に避難しました。」
この薩摩藩伏見邸は、慶応4年の戊辰戦争の最中、会津の大砲隊の攻撃により焼失しました。