京阪中書島駅(京都府京都市伏見区葭島矢倉町)のホームの待合室に「龍馬ゆかりの地」が紹介されています。これは全て行かねば! 思わずメモ・・・ψ(。。 )
「坂本龍馬ゆかりの地」として、下記の場所が記載されています。
1. 寺田屋(京都市伏見区南浜町)
2. 竜馬通り商店街(京都市伏見区納屋町通油掛~蓬莱橋)
3. 坂本龍馬と中岡慎太郎像(京都市東山区円山町)
4. 幕末維新ミュージアム・霊山歴史館
(京都市東山区清閑寺霊山町)
5. 京都霊山護国神社(京都市東山区清閑寺霊山町)
6. 長州屋敷址(京都市中京区一之舟入町)
7. 坂本龍馬萬居之址(京都市中京区大黒町・酢屋)
8. 桂小五郎幾松寓居跡(京都市中京区上樵木町・幾松前)
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坂本龍馬ゆかりの地
淀古城址
江戸時代に築城されたものが淀城ですが、もともと淀に城が築かれたのは室町時代中期の頃です。現在の淀城址の場所とは異なり、淀古城址は、妙教寺(京都府京都市伏見区納所北城堀)内にあります。
「東院年中行事」の文明10年(1478)に「山城守護代遊佐弾正の代(中略)神保与三左衛門淀へ入部す」と記述されており、また「細川両家記」によれば、永禄2年(1559)に細川氏綱が淀城に入城した事が記されています。
天正17年(1589)豊臣秀吉の側室茶々がこの淀城に入って鶴松を産み、以降「淀殿の城」と呼ばれるようになりました。
淀古城址のある地名の納所(のうそ)ですが、この場所が、淀川の川舟によって運ばれてきた物資を”納めていた所”であったことに由来しています。納所は、簡単そうでなかなか読めない漢字です・・・ (._.)?
淀城址
淀城址(新淀城の跡・京都府京都市伏見区淀本町)
元和9年(1623)の伏見城廃城に伴い、2代目将軍徳川秀忠の命で、松平定綱が伏見城の資材を転用し築城しました。江戸時代に、松平氏、戸田氏、稲葉氏など譜代大名が居城。その後、廃藩置県による淀藩の消滅に伴い、淀城は廃城となりました。現在の淀城址には、本丸の石垣と堀跡、水車(みずぐるま・写真右)の一部が残っています。
「淀の川瀬の水車、誰を待つやらくるくると」(当時の歌)
写真右は、淀城址の案内版にあった稲葉氏時代の淀城の地図です。
与杼神社
与杼神社(よどじんじゃ・京都府京都市伏見区淀本町)
与杼神社(與杼神社)は、淀・納所・水垂・大下津の産土神として鎮座しています。社伝によると、応和年間(961~963)に、僧の千観内供が、肥前国の與止日女神社より淀大明神として勧請したことが始まりとされています。
与杼神社の本殿(桃山時代)は、昭和50年、花火の落下が原因で焼失したため、近年新たに再建されました。
写真右は、与杼神社内にある「江戸時代の豪商ゆかりの大坂淀屋の高灯籠」です。(以下、立て札の内容)
「江戸時代の初めの豪商淀屋の初代岡本与三郎(淀屋常安)は、淀周辺の岡本荘の出身との説もあり、又この淀の地に家や田地も所有していたと記録に残っている。しかし淀屋は、幕府を凌ぐほどの財産を有したが、宝永2年(1705)5月に闕所(けっしょ)となり、財産没収と所払いの処分となった。・・・宝暦13年(1763)には、大坂の元の地(淀屋橋の南詰め一帯)に木綿問屋として「淀屋清兵衛」(後期淀屋)を公称して再興を果たした。
淀屋ゆかりの者がこの高灯籠を寄進して再興を宣言したことを示したとも言える」
ちなみに、大阪にある淀屋橋の名前の由来は、淀屋が淀屋橋を架橋し管理したことによります。