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京都観光情報や歴史探訪などをメインとした京都観光ブログ。観光気分で、ぶらり京都を散策。
ぶらりblogでは、主に京都伏見周辺を中心にぶらり散策しながら、京都の町並みや人気の観光スポット、京都の観光名所、ひっそりと佇む歴史の足跡などをブログ形式で紹介いたします。


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ぶらりblog 京都観光/旅行 記事一覧

寶恵駕籠巡行・金札宮


寶恵駕籠巡行寶恵駕籠巡行

寶恵駕籠巡行(ほえかごじゅんこう)
本日13時より始まった 金礼宮(きんさつぐう・京都府京都市伏見区鷹匠町)の寶恵駕籠巡行ですが、かつては中書島花街の芸妓を寶惠駕籠に乗せ、人々に福を授けながら伏見の町を巡行していました。
写真は、芸妓さんの綺麗な衣装をまとった女性の方と福笹飾りを乗せた五挺の寶恵駕籠、後に続く恵比寿さまが、「ほえかごー、ほえかごー・・・」の掛け声とともに優雅に金札宮を出発する様子です。五挺の寶恵駕籠の一挺に外国の女性の方がのっていました。 (゜o゜)
巡行ルートは、金札宮より大手筋商店街・納屋町商店街を経て、南は南浜町、北は丹波橋通までです。
新年を向かえ、私もかなり大きな福を頂いた感じです。
(^^)
公式HPはこちら 金札宮 平成二十五年度 寶恵駕籠巡行
(2013/1/6投稿)

長明方丈石・鴨長明


長明方丈石方丈石道標

長明方丈石(京都府京都市伏見区日野船尾町)
長明方丈石は、法界寺の東、日野町の山裾にある京都市日野野外活動施設より、山道を300mほど入った場所にあります。右の写真は、方丈石に至る山道途中の道標です。
方丈の庵跡の案内版では、「方丈石は、この下の巨石と云われる。ここは、鴨長明が方一丈(3メートル強)の小庵を営み「方丈記」を著した場所と伝えられている。・・・(略)」と記載されています。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」
かの有名な、鴨長明の方丈記の書き出だし部分ですが、この「行く川のながれ」は、鴨川のことです。
方丈記は、鴨長明(1155~1216)による鎌倉時代の随筆であり、徒然草、枕草子と合わせて「日本三大随筆」と呼ばれています。晩年、鴨長明は日野山に方一丈の小庵を営み、庵内から当時の世間の様子を観察し、もののはかなさや人は如何に生きるべきかなどをこの方丈記に書き記しました。
冬はかなり寒く、夏になると虫などが結構多かったに違いありません・・・ (´・`)

○下鴨神社・方丈庵
下鴨神社・方丈庵下鴨神社・方丈庵
上の写真右は、当時の「方丈庵」を現代風に再現したもので、下鴨神社(賀茂御祖神社・京都府京都市左京区下鴨泉川町)の摂社である河合神社にあります。
※ 鴨長明は、久寿2年(1155)下鴨神社の社家の子として生まれており、下鴨神社は、鴨長明ゆかりの社です。下鴨神社では、昨年「鴨長明『方丈記』と賀茂御祖神社式年遷宮資料展」などが行なわれました。

醍醐の花見


上醍醐地図手水舎

新年を迎え、上醍醐(京都府京都市伏見区醍醐醍醐山)にお参り行ってきました。風が強く厳しい寒さで、山上にある五大堂近くの手水舎が凍りついておりました。 (゜ロ゜;)!
上醍醐の堂塔は、後日何回かに分けてゆっくり投稿する予定です。
女人堂上醍醐山頂
上の写真は、スタート地点となる女人堂への入口(写真左)とゴールの山頂周辺の風景(写真右)です。
女人堂から不動の滝へ行く途中に、豊臣秀吉の醍醐の花見に関する立て札がありました。厳しい真冬で季節はずれですが、初春の内容です・・・ (・_・?).....

上醍醐醍醐の花見案内板

「醍醐の花見」についての案内板の記載です。
「慶長3年(1598)3月15日、秀吉は一世の善美を尽くした花見をこの槍山(やりやま)で催した。千畳敷きとも呼ばれる平地には新しい花見御殿がたてられた。又、女人堂から槍山の間には長束正家をはじめ各武将により趣向をこらした茶屋八棟が設けられた。この花見にさきがけて山内馬場先から槍山に至る両側には畿内より集めた桜の木七百本を植えさせた。・・・(略)」
以下、清滝宮拝殿、薬師堂、准胝堂に続く・・・
(2013/1/3投稿)

清滝宮拝殿、薬師堂、准胝堂


○清滝宮拝殿(せいりゅうぐうはいでん)

清滝宮拝殿は、上醍醐寺務所の西北にあります。四方に縁を巡らし、一部に蔀戸(しとみど・ひよけの意)を入れた、寝殿造風の建築です。 寛治2年(1088)に建立、永享6年(1434)に再建されました。

清滝宮拝殿清滝宮拝殿立て札

○薬師堂(やくしどう)
薬師堂は、延喜7年(907)に理源大師(聖宝)によって建立されました。現存の堂は保安2年(1121)の再建。堂内は土間であり、内陣桝組間のくりぬき式蟇股(かえるまた)は、天下の三蟇股の一つと言われています。

薬師堂薬師堂立て札

○准胝堂(じゅんていどう)
准胝堂は、如意輪堂とともに、理源大師(聖宝)により貞観18年(876)に建立、西国三十三所観音霊場第十一番札所です。昭和43年(1968)に再建されましたが、平成20年8月24日に落雷が原因で焼失しました。納経・納札・朱印は、下醍醐の女人堂で行なっています。
以下、如意輪堂、開山堂、五大堂に続く・・・

※地図赤印は清滝宮拝殿

如意輪堂、開山堂、五大堂


○如意輪堂(にょいりんどう)

如意輪堂は、上醍醐の醍醐山頂(標高450m)にあり、理源大師(聖宝)により貞観18年(876)に建立、慶長11年(1606)に豊臣秀頼により再建されました。入母屋造、妻入で懸造の堂々とした桃山時代の建築物です。
下から登って行くルートの先に如意輪堂がありますので、写真左のように、突如上に見上げる格好で如意輪堂が姿をあらわします。

如意輪堂如意輪堂立て札

○開山堂(かいざんどう)
開山堂は、如意輪堂の東隣にあり「御影堂」とも言われています。延喜11年(911)に理源大師(聖宝)の弟子である観賢座主によって建立されましたが、その後焼失し、慶長13年(1608)に豊臣秀頼により再建されました。堂内には理源大師像などを安置しています。左の写真の手前が開山堂であり、左奥に見える建物が如意輪堂です。

開山堂開山堂立て札

○五大堂(ごだいどう)
五大堂は、如意輪堂の北にあります。延喜7年(907)に理源大師(聖宝)が開いた国家鎮護の祈願道場で、現在の堂は、昭和15年(1940)に再建されたものです。本尊の五大明王は「五大力さん」と呼ばれ、盗難除け、災難身代りの仏として信仰されています。

五大堂五大堂立て札

※地図赤印は、如意輪堂