京都観光/旅行・ぶらり伏見

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京都観光情報や歴史探訪などをメインとした京都観光ブログ。観光気分で、ぶらり京都を散策。
ぶらりblogでは、主に京都伏見周辺を中心にぶらり散策しながら、京都の町並みや人気の観光スポット、京都の観光名所、ひっそりと佇む歴史の足跡などをブログ形式で紹介いたします。


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ぶらりblog 京都観光/旅行 記事一覧

一ノ峰、二ノ峰


<お山巡り・伏見稲荷大社 Ⅳ>

○二ノ峰(中社御神蹟)
二ノ峰二ノ峰
ここは、交通、海運の神様として信仰されている青木大神が祀られています。また、古来「しるしの杉」と言われていた神木は、一ノ峰と二ノ峰の間にあったとされています。
「きさらぎやけふ初午のしるしとて 稲荷の杉はもとつ枝もなし」(新撰六帖 一春 藤原光俊朝臣)
一ノ峰の山頂まで、もう一息です (^_^;;・・・

○一ノ峰(上社御神蹟)
一ノ峰一ノ峰
やっと到着したのが、稲荷山の最高峰(標高233m)の一ノ峰です。ここが、いわゆる北の比叡山から始まる「東山36峰」の最南端であり、最後の36峰目になります。朱い鳥居に導かれて山道をひたすら歩き続けましたが、頂上にくると、日常の事を忘れて爽快な気分になります・・・ヽ(^^)丿
※ 東山36峰とは、京都盆地の東部、南北12Kmにわたる36の山々の総称のこと

○長い石段(一ノ峰~春繁社)
長い石段長い石段
一ノ峰から春繁社(はるしげしゃ)へ行く途中に、200段を超える長い石段があります。正式ルートでは、春繁社より、この石段を登り、一ノ峰に行くこととなります。
随筆「枕草子」では、清少納言が、お山巡りの際、この石段を苦しい思いをして登ったことが記載されています。
「稲荷に思ひ起して参りたるに、中の御社(みやしろ)のほど、わりなく苦しきを念じて登る程に、いささか苦しげもなく、後れて来と見えたる者どもの、ただ行きに先立ちて詣づる、いとうらやまし。」
※ 枕草子は、平安時代中期(長徳2年(996)~)中宮定子に仕えた女房清少納言により執筆された随筆
以下、御劔社、御膳谷奉拝所、清滝に続く・・・

※地図赤印は、一ノ峰(上社御神蹟)

御劔社、御膳谷奉拝所、清滝


<お山巡り・伏見稲荷大社 Ⅴ>

○御劔社 釼石(長者社御神蹟)
御劔社 釼石御劔社 釼石
一ノ峰から春繁社を通り、さらに下っていくと、御劔社(みつるぎしゃ)があります。この長者社御神蹟は、山上古図に釼石(つるぎいし)と記されている場所です。長者社には加茂玉依姫(かもたまよりひめ)を祀っており、社殿の後ろに釼石(雷石)があります。稲荷山の三ヶ峰と同じように、古くからの神祭りの場であったところです。
一般に「ミツルギさん」と親しまれているのは、釼石の名と三条小鍛冶宗近が勅命により、名刀小狐丸を鍛えたという謡曲「小鍛冶」の話に由来します。

○御膳谷奉拝所(ごぜんだにほうはいしょ)
御膳谷奉拝所御膳谷奉拝所
社伝によると、稲荷山三ヶ峰の北背後にあたるこの場所は「御前谷」とも記されており、往古において、三ヶ峰の神々に日々のお供えをした所と伝えられています。三つの峰の渓谷がここに集まって一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰を拝する場所となっており、毎年1月5日「大山祭・山上の儀」が行なわれる聖地です。

○清滝
清滝清滝
御膳谷奉拝所から北へ向かって(清瀧社方面、途中分岐有り)200メートル程下ると、滝行の場として知られる清滝があります。川に沿って西方へ下る山道は、北谷を経て、東福寺・泉涌寺方面へのルートとなります。
清滝から御膳谷奉拝所へ再び戻り、通常ルートで伏見稲荷大社へ無事下山となります・・・

※地図赤印は、御膳谷奉拝所

五大力尊仁王会・餅上げ力奉納


醍醐寺五重塔五大力餅

五大力尊仁王会・餅上げ力奉納(醍醐寺・京都府京都市伏見区醍醐東大路町)
毎年2月23日、古くは延喜7年(907)より営まれている五大力尊仁王会(ごだいりきそんにおうえ・通称「五大力さん」)が行われます。
左の写真、「醍醐山五大力尊」ののぼりの間にちらっと見える建物は?・・・そう、かの有名な醍醐寺五重塔です。
醍醐寺金堂の東にある不動堂前において、本日に限り、ご本尊「五大力尊」の身代わりお札「五大力尊御影(みえい)」が授与され、特別祈祷としてお札を炙ってもらうことができます。(写真右、大護摩を焚き上げて五大明王の威力を讚える柴燈護摩法要・さいとうごまほうよう)
この御影は、「五大力尊」の分身として、その人を守り、家を護り、あらゆる災難を払い除けてくれます。
※ 五大力尊は、五大明王(不動明王、大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王、金剛夜叉明王)のことです。

餅上げ力奉納餅上げ力奉納
醍醐寺金堂前では、正午より、五大力餅という2段重ねの巨大な紅白餅を持ち上げる「餅上げ力奉納」(もちあげちからほうのう)が行なわれました。春を呼ぶ餅上げ力奉納は、五大力尊(五大明王)の霊験を授かり、今年の無病息災、身体堅固を祈る伝統の奉納行事です。
大勢の参拝者が見守る中、女性が90Kg、男性が150Kgの大鏡餅を持ち上げ、その持続時間を競いますが、これはかなり大変・・・写真は、初めに行なわれた女性の部で25名の出場でしたが、かなりの力自慢しか無理な雰囲気です。
ちなみに、男性は67名の出場でした。
持ち上げると言うより”しゃがんで抱え上げる”あまり慣れない感じの動きなので、ぎっくり腰や肉離れにご注意を (^^ゞ・・・ 
この尻もちつかずの力較べを制した優勝者には、鏡餅が授与されます。

もちもちぃんもちもちぃん
上の写真は、子供達の人気もの、餅上げ力奉納の会場の「もちもちぃん」です。可愛い雪だるまの様にも見える?ゆるキャラ「もちもちぃん」は、餅上げ力奉納で使われる150Kgの紅白餅をモチーフにしたマスコットですが、地域のイベントなどに度々登場し、醍醐地域の観光マップやポスターにも描かれています。
(2013/2/23投稿)

伏見人形


京都市考古資料館饅頭喰い

現在、京都市考古資料館(京都府京都市上京区今出川通大宮東入元伊佐町)で「伏見人形展」が開催されています。写真右は、「饅頭喰い」(まんじゅうくい・所蔵:丹嘉)です。
饅頭喰いは、「父と母のどちらが好きか?」と尋ねられた子供が、二つの饅頭を握り「どちらの饅頭が美味しい?」と言い返した教訓話から、子供に知恵を授けると言われています。思い起こせば・・・子供の頃、私の家には無かったような気がします。残念・・・ (´・`)

伏見人形出世稲荷跡出土品
伏見人形とは、伏見稲荷大社門前の深草周辺で造られた土人形のことで、別名、稲荷人形、深草人形とも言われています。
もともと深草,桃山丘陵地には、良質の粘土採取場があり,古くから深草瓦に、この土が利用されていました。また、「日本書紀」には,朝廷で使用する土師器をつくるため、山背国俯見から陶工を送り出していたことが記されています。
江戸時代前期に、この土を利用して生産が始まった伏見人形ですが、稲荷詣のお土産品として全国的に有名になり、日本各地の土人形・郷土玩具の原型となりました。一番人気の「布袋さん」を始め、天神・七福神などの神々、力士・役者などの人物、狐・牛・馬・鳥などの動物、蔵・舟などの器物など様々な種類が作られました。(写真左は、現在の人形、右は、出世稲荷跡出土品)
ちなみに、「布袋さん」は初午の日に毎年一体ずつ買い求め、小さいものから順番に七体揃えるのが慣習となっています。(途中で不幸があった場合には、始めからこれを揃え直さなければいけません・・・。)

狛犬伏見人形
写真左は、伏見稲荷大社北側にあたる本町二十丁目で出土した狛犬の土型ですが、ここでは人形の製作に使用されていた多量の土型が出土しました。
また平成19年~20年にかけて行なわれた伏見区総合庁舎の発掘調査では、直径1m~2mほどの井戸や土師器・陶器・磁器・漆器・瓦・箸・籠・人形・木簡・下駄など多くの木製品、金属製品、石製品が発掘されました。(写真右は、出土品の一部)
(2013/2/19投稿)

御香水・御香宮神社


御香水御香水

御香宮神社(京都府京都市伏見区御香宮門前町)にある伏見の名水「御香水」
貞観4年(863)、境内から水が湧き出し、この水を飲むと病気がたちまち治ったと言われたことより、清和天皇から「御香水」の名を賜りました。
御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)は、室町から江戸にかけて天皇に仕える代々の女官達がつけた当番制の日記ですが、ここに御香水と称される聖水の言葉があり、女官達は、伏見の御香水の月参りを欠かさなかったと言われています・・・
<瀕死の猿曳きの逸話>
「一人の猿曳きが、御香宮にやって来たが、飢えと疲れで、もはや息も絶えようとしていた。それを見ていた猿は、この宮にあった水を猿曳きの口に入れたという。するとその露が胸に落ちて素晴らしい味と香りに感じら、猿曳きは、すっかり元気を取戻したという。(京童跡追 巻六)」 京都の伝説(淡交社)より抜粋
※ 京童跡追(きょうわらべあとおい・京童の続編)は、寛文7年(1667)中川喜雲が記した名所案内記