伏見桃山城(京都府京都市伏見区桃山町大蔵)周辺は、桃山の地名の通り、かつては桃が多く植えられておりましたが、現在は、桜が綺麗な場所となっています・・・
さまざまのこと思ひ出す桜かな(松尾 芭蕉)
(2013/3/31投稿)
京都観光情報や歴史探訪などをメインとした京都観光ブログ。観光気分で、ぶらり京都を散策。
ぶらりblogでは、主に京都伏見周辺を中心にぶらり散策しながら、京都の町並みや人気の観光スポット、京都の観光名所、ひっそりと佇む歴史の足跡などをブログ形式で紹介いたします。
伏見桃山城(京都府京都市伏見区桃山町大蔵)周辺は、桃山の地名の通り、かつては桃が多く植えられておりましたが、現在は、桜が綺麗な場所となっています・・・
さまざまのこと思ひ出す桜かな(松尾 芭蕉)
(2013/3/31投稿)
疎水沿いの桜が満開になっています。ポカポカ陽気で、花見の観光客が多いです・・・
上の写真は、京橋(京都府京都市伏見区京橋町)~濠川出合橋の桜並木です。
疎水沿いにある酒蔵周辺の桜も綺麗でした。この週末から来週あたりが、一番の見頃な感じです・・・
黄檗宗の寺院である石峯寺(せきほうじ、京都府京都市伏見区深草石峰寺山町)
伏見稲荷大社の上御殿あたりから南に行くと、赤い竜門造りの参門が印象的な百丈山石峯寺があります。
石峯寺は、正徳3年(1713)黄檗山大本山萬福寺の第6世千呆性侒(せんがいしょうあん)により、禅の道場として創立されました。
石峯寺の本堂の右側に、裏山に行く羅漢参道があります。
上の写真は、石峯寺の境内裏山の「五百羅漢の石像群」です。寛政年間(1789~1801)画家の伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)が妹の真寂と草庵を建て、釈迦の誕生から涅槃までの一生を表わした「若冲五百羅漢」の石像群を、石峯寺7代住職の密山和尚と共に、6、7年かけて造りました。
晩年、伊藤若冲は、自分の絵と米一斗とを交換したことから「斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)」と呼ばれる別号があります。
染井吉野(そめいよしの)
伏見南浜小学校(京都府京都市伏見区丹後町)の正門入口付近にある染井吉野(そめいよしの、樹齢約70年、高さ12m~15m)が一斉に咲いていました・・・ (^_^)v
この桜は、伏見南浜小学校正門から約20mの区間で市立伏見南浜幼稚園と松林院陵に挟まれた石畳のプロムナードの両側に植えられています。
案内板によると、京都市立学校、幼稚園 名木100選選定樹木であり、昭和初期から卒業記念等により数回植樹し、今日の桜並木になった旨が記されています。
この桜並木は,校門傍から咲き始め、グランド近くへと順次満開となります。
※ 染井吉野(そめいよしの)は、江戸時代の末期に江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)の造園師達によって育成され、吉野桜として売られていましたが、ヤマザクラとは異なる種である事が判明、明治33年(1900)染井吉野と命名されました。
全国の染井吉野は、全て人の手を介し、接木(つぎき)などで植栽されたものです。
(2013/3/22投稿)
三宝院(京都府京都市伏見区醍醐東大路町)
醍醐寺の塔頭(たっちゅう)である醍醐寺三宝院は、永久3年(1115)醍醐寺第14代座主・勝覚が創建し、醍醐寺第74代座主・満済以降は、歴代座主が三宝院に居住するのが慣例となりました。三宝院は、応仁の乱で焼失、慶長3年(1598)豊臣秀吉の援助で再建されました。写真右は、国宝の唐門です。
表書院の東側には、「醍醐の花見」の際、醍醐山中腹の槍山に設けた花見御殿(八番茶屋)を移築したとされる茅葺の純浄観(じゅんじょうかん)、さらに純浄観の東側に快慶作の弥勒菩薩像を安置する本堂、純浄観の北側に奥宸殿があります。
写真右は、三宝院の西にある修証殿前の憲深林苑の桜です。ここ憲深林苑で咲き始める河津桜をかわきりに醍醐の花見が始まります。桜で有名な三宝院庭園は、表書院の南にあり、豊臣秀吉が「醍醐の花見」の際、義演僧正に造らせたもので、自ら縄張りしたとされます。三宝院庭園の正面にある藤戸石は、かつて織田信長が足利義昭のために造営した二条邸にあったものです。その後、豊臣秀吉により、聚楽第の庭に移され、慶長3年(1598)三宝院庭園の守護石となります。
豪壮雄大な庭園は、秀吉の豪華さと桃山時代の華やかな雰囲気を今に伝えています。なお三宝院庭園は、写真撮影禁止なので、入場チケットを投稿します・・・ (;_;)
★醍醐寺三宝院の国宝
唐門、表書院
★醍醐寺三宝院の重要文化財
本堂、純浄観、奥宸殿、表書院・襖絵、弥勒菩薩像など
★国特別史跡、特別名勝
醍醐寺三宝院庭園