<幕末維新編>
近藤勇 遭難の地(京都府京都市伏見区深草越後屋敷町・料亭旅館清和荘前にある石碑)
慶応3年(1867)12月9日、小御所会議で大勢は一気に倒幕へと傾き、王政復古の大号令が発せられました。こうした情勢を受け、新撰組は二条城で、京都町奉行所若年寄・永井玄蕃守と軍議を行います。
軍議を終え、伏見奉行所に帰る途中、新撰組局長・近藤勇は、高台寺党の残党に墨染通付近で狙撃されました。近藤勇は、右肩を負傷しながらも、一命を取り留め、伏見奉行所に帰還後、大坂に移送されます。
※ 狙撃された場所は、伏見街道(本町通)と墨染通の交差点付近と言われていますので、近藤勇 遭難の地の石碑がある清和荘からはかなり東になります・・・チョット離れ過ぎのような気も・・・/(^◇^;)