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京都観光情報や歴史探訪などをメインとした京都観光ブログ。観光気分で、ぶらり京都を散策。
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ぶらりblog 京都観光/旅行 記事一覧

近藤勇 遭難の地


近藤勇 遭難の地料亭旅館清和荘

<幕末維新編>
近藤勇 遭難の地(京都府京都市伏見区深草越後屋敷町・料亭旅館清和荘前にある石碑)
慶応3年(1867)12月9日、小御所会議で大勢は一気に倒幕へと傾き、王政復古の大号令が発せられました。こうした情勢を受け、新撰組は二条城で、京都町奉行所若年寄・永井玄蕃守と軍議を行います。
軍議を終え、伏見奉行所に帰る途中、新撰組局長・近藤勇は、高台寺党の残党に墨染通付近で狙撃されました。近藤勇は、右肩を負傷しながらも、一命を取り留め、伏見奉行所に帰還後、大坂に移送されます。
※ 狙撃された場所は、伏見街道(本町通)と墨染通の交差点付近と言われていますので、近藤勇 遭難の地の石碑がある清和荘からはかなり東になります・・・チョット離れ過ぎのような気も・・・/(^◇^;)

伏見御坊址


伏見御坊址伏見御坊址

伏見御坊(ふしみごぼう・京都府京都市伏見区大阪町)
東本願寺別院(伏見幼稚園)の前の通りは、城下町の名残りで、東西南北のどこから来てもここに突き当たるため、「四辻の四つ当り(軍事上造られた袋小路)」と呼ばれ、伏見御坊の門前町でした。
伏見御坊は、慶長年間(1596~1614)徳川家康の援助により、本願寺12世教如上人が建立したものですが、蓮池を埋め立てたことから、「蓮池御坊」とも呼ばれています。本殿は、向島城の殿舎の遺構より造られましたが、老朽化により、平成2年取壊されました。現在は、山門と銀杏(いちょう)を残すのみとなっています。右の写真が、伏見御坊の山門ですが、写真に写る白いものは・・・ホコリでは無く、突然降り始めた雪です・・・
(2013/2/16投稿)

清涼院


清涼院清涼院

浄土宗知恩院派の寺院(尼寺)である清涼院(京都府京都市伏見区深草大亀谷五郎太町)
写真は、清涼院境内と清涼院に入口付近にある百日紅(さるすべり・京都市指定 保存樹)です。 清涼院周辺は、室町時代、法安寺村と言われており、後に伏見城の御花畠山荘となりました。
徳川家康が、石清水八満宮の神職志水加賀守宗清の娘であったお亀を寵愛し、ここに住まわせました。お亀は、慶長5年(1600)、のちに尾張大納言義直(徳川義直)となる五郎太を出産しますが、この事より、現在この辺りは五郎太町と呼ばれています。この山荘は清涼庵となり、後に尼寺清涼院となりました。

桃山井伊掃部


桃山井伊掃部京都教育大学 附属桃山中学校

桃山井伊掃部(ももやまいいかもん)・・・なかなか読めない漢字です。 (^_^;)
京阪「丹波橋駅」の北東近くにある京都教育大学 附属桃山中学校‎(京都府京都市伏見区桃山井伊掃部東町、写真右)の入口に桃山井伊掃部の案内板があります。桃山一帯は、多くの大名、武士の名前が地名になっており、桃山井伊掃部周辺は、上野白井藩主、近江彦根藩第2代藩主である井伊掃部頭直孝の屋敷跡とされています。
「井伊掃部『直孝(慶長18年叙任)』・長曽我部・池田備中守・石川長門守・髙木九助・大島弥三朗・稲葉彦六の小字(こあざ)にわかれている。明治37年には、府立農業試験場桃山分場が設置され、果樹、蔬菜や草花も試作された。後に府立女子師範学校が洛北紫野よりここに移転されたのに伴い試験場は廃止された。・・・この付近には、筒井伊賀・長岡越中・水野左近・福島大夫・毛利長門・羽柴長吉・松平筑前などの人名の冠せられた地名が多く残されている。(案内板より)」
※ 掃部(掃部寮・かもんりょう)とは、宮内省に属し、朝廷行事の設営業務や清掃業務などを担う令外官のこと

椿餅


椿餅椿餅

椿餅(つばきもち、つばきもちい、つばいもちゐ)
城南宮で椿餅が売られていました。残念ながら、若干甘いものが苦手なので買ってませんが・・・ (-o-;)
椿餅は、小豆餡を包んだ餅を2枚の椿の葉で挟んだ和菓子ですが、室町時代の源氏物語の注釈書である河海抄(かかいしょう)では「椿の葉を合わせ、もちいの粉にあまずらをかけて包みたるなり」とあります。
「妻在らず 盗むに似たる 椿餅」石田波郷
椿餅に手を伸ばして何か後ろめたい気持ち・・・よく分かります(:ー;)
椿餅は、平安時代において、蹴鞠の会などが催された時に食べられた餅菓子で、和菓子の起源と言われています。
「椿い餅、梨、柑子やうのものども、様々に筥の蓋どもにとりまぜつつあるを、若きひとびと、そぼれとり食ふ」
源氏物語 第34帖 若菜上
「大殿の御方より檜破子(ひわりご)、御酒(みき)、つばいもちゐなど奉り給へり」 宇津保物語 国譲上
※ 宇津保物語は、日本の平安時代中期の日本文学史上最古の長編物語(作者不詳)