ぶらぶら散歩していて、ふと見つけた梅の花
大手橋の東側にある、お酒の直営販売所(京都府京都市伏見区村上町)に咲く梅の花です。梅が咲き始めると、だんだん暖かくなり、春の気配を感じさせます・・・!(^^)!
「梅一輪一輪ほどの暖かさ」 服部嵐雪(はっとりらんせつ、承応3年(1654)~宝永4年(1707))
(2013/3/14投稿)
京都観光情報や歴史探訪などをメインとした京都観光ブログ。観光気分で、ぶらり京都を散策。
ぶらりblogでは、主に京都伏見周辺を中心にぶらり散策しながら、京都の町並みや人気の観光スポット、京都の観光名所、ひっそりと佇む歴史の足跡などをブログ形式で紹介いたします。
ぶらぶら散歩していて、ふと見つけた梅の花
大手橋の東側にある、お酒の直営販売所(京都府京都市伏見区村上町)に咲く梅の花です。梅が咲き始めると、だんだん暖かくなり、春の気配を感じさせます・・・!(^^)!
「梅一輪一輪ほどの暖かさ」 服部嵐雪(はっとりらんせつ、承応3年(1654)~宝永4年(1707))
(2013/3/14投稿)
桜まつり
平成25年4月7日(日)10時より、桃山語り部の道「桜まつり」が、寺田屋西側にある京橋周辺で開催されます。内容は、和太鼓演奏や賑わい市など・・・盛りだくさんです。
○和太鼓演奏
地元南浜小学校お祭りキッズの皆さんによる和太鼓演奏
○水辺の楽市・楽座
年に1度だけ!桜の水辺に並ぶ賑わい市
○リバーサイドライブ
桜まつり会場は水辺の野外ライブで、時間ごとに盛り上がります。
○十石舟、三十石船運航
桜を満喫!伏見の春の風物詩
○伏見の清酒振舞酒
先着200名様
開催場所は、宇治川派流「京橋~であい橋・疎水沿い」で、下記の地図の赤のラインです。
なお、写真右、日本酒まつり(伏見の清酒きき酒会)は、平成25年3月23日(土)に御香宮神社、伏見夢百衆で開催されます。
(2013/3/14投稿)
電気鉄道事業発祥の地(京都府京都市伏見区下油掛町)
明治24年(1891)琵琶湖疏水を利用した蹴上発電所が完成し、明治28年(1895)この電力を用いて日本で最初の電気鉄道(京都電気鉄道)が、京都駅~伏見・油掛通の約6kmで開通しました。
この年は、平安遷都1100年にあたり、京都の岡崎公園(京都府京都市左京区岡崎最勝寺町)で殖産興業推進のための第4回内国勧業博覧会が開かれ、会場への客輸送にこの路面電車が活躍しました。開業当初は、路面電車に停留所がなく、適当な場所でお客の乗降を行っていたようです。
明治34年(1901)には、高倉跨線橋(たかくらこせんきょう、通称名 たかばし)が完成し、京都駅北側の路線と接続されています。
この成功により、電気鉄道事業は全国に広がり、今日の新幹線(リニア?)に発展することとなります・・・(^o^)v
大正7年(1918)、京都市が京都電気鉄道を買収し、その後も市電伏見線として広く市民に利用されていましたが、昭和45年に廃止(市バスに転換)されました・・・(__)。
「電気鉄道事業発祥の地」の記念碑は、京都駅北口のルネサンスビル京都(写真左・京都府京都市下京区塩小路通東洞院)の前にもあります。記念碑には、可愛らしい?路面電車が描かれています。
写真右は、くしくも平安遷都1200年記念事業の一環で竣工された京都駅ビル(平成9年(1997)竣工)です。
差し引き100年・・・時代の流れを感じます・・・
※ 平安遷都とは、「鳴くよ(794)うぐいす平安京」で知られる延暦13年(794)に、桓武天皇により行なわれた平安京への都遷り(みやこうつり)のことです。
大手筋商店街にあり、「大手筋の妙見さん」と呼ばれている本教寺(福昌山 本教寺・京都府京都市伏見区東大手町)
日蓮宗の寺院である本教寺は、文禄3年(1594)教行院の日受上人により、西浜堺町で創建、慶長19年(1614)池田輝政の屋敷を寄進され、当地に移転しました。本教寺境内には、豊臣秀吉遺愛の牡丹があり、「慶長牡丹の寺」とも呼ばれています。
「洛陽妙見十二支めぐり」の7番目「午(南)」の寺院であり、開運除厄の信仰を集めています。
※ 「洛陽妙見十二支めぐり」は、京都市内において、妙見菩薩(北極星・北斗七星を神格化し、宇宙万物の運気をつかさどる菩薩)を祀る十二箇所の寺院をめぐることです。
ぐるっと時計回りに京都市内を十二箇所・・・これはなかなか大変?です。
京都市上京区・・・善行院、本満寺
京都市左京区・・・道入寺、霊鑑寺、満願寺
京都市東山区・・・日體寺(日体寺)
京都市伏見区・・・本教寺
京都市下京区・・・法華寺、慈雲寺
京都市右京区・・・常寂光寺、三宝寺
京都市北区 ・・・圓成寺(円成寺)
桃山善光寺(龍雲寺・京都府京都市伏見区桃山毛利長門東町)
桃山善光寺は、京都府立桃山高校の南にある天台宗の寺院です。桃山善光寺の本堂は、醍醐寺の塔頭の建物を移築と言われています。
もともと桃山善光寺は、深草大亀谷敦賀町にありましたが、正徳5年(1715)伏見奉行石川備中守が、徳川綱吉の念持仏であった観音菩薩像を本尊として、現在地に近い三河屋敷町に移築しました。
当時、三河屋敷町周辺は、数千本の桃の木があり、春先は桃花が咲き乱れたと言われています。
明治27年(1894)天皇御料地として買い上げられたため、現在の毛利長門東町に寺地を移しました。桃山善光寺は、花の奇麗な寺院であり、 早春には梅、春は山茱萸(さんしゅゆ)、夏に百日紅(さるすべり)などが見られます。